次郎より二郎

時々、いわゆる”おいしいお寿司”を食べることがあります。
たいていシャリは小ぶりでネタは小さからず、大きからず。
わさびは本物で、ガリがまた凝っている。
とてもおいしいけれど、値段がちっともおいしくない。
日本人に生まれ、40数年間、寿司には慣れ親しんできたのだけれど、これらの寿司と一般の寿司との数倍の値段の違いが私にはわかりません。  
まだ値段が安く、大き目のネタにまあまあのシャリが私には最高なのです。  
学生時代は”寿司は回らなきゃ食えない、寿司が回らなきゃ自分の方で回る”とほざいていました。  さすがに回らなくても寿司は食べられるようになりましたが、いわゆるいいお寿司は宝くじででも”人生デラックス”にしなければ、私には一生知り得ないものなのかもしれません。  今、何が食べたいかと聞かれたら、たとえ他人バラでも寿司の”次郎”ではなく、ラーメン”二郎” と答えちゃう。  でも、一生このままなのもいかがなものか。 
(この写真は次郎でも、二郎でもありません。あしからず)